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題名:  満洲風物帖
編者:  満鐵旅客課
発行:  大阪屋号書店 (昭和17年=1942年12月5日)
定価:  2円50銭
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 昭和20年、会津の連隊で敗戦を迎えた父は現地で召集解除となり、復員することになりました。要領のいい連中は連隊の 食糧や金目のモノをくすねて(あるいはどうせ敵さんに渡すよりは適当に持っていけということだったか)帰ったらしいけど、 うちの父はわたくしに似てどうも世渡りが下手というか要領が悪いというか、なんと病院備え付けの図書を何冊が頂戴しただけだったそうです。当時兵営には図書室などなく、 活字に飢えると病院に潜入していたのでしょう。たとえば下の文庫本もその一冊。「患者図書室」の印も鮮明で、子どもの頃は兵隊の結核が うつりそうな気がして、怖くてこの本に触れませんでした。

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 旧皇軍も鉄拳だけではなく、恤兵(じゅっぺい)部など設け、兵の慰労も心がけてはいたのでしょうね。しかしわざわざ非売品の文庫本を岩波に作らせるというのは 検閲の手間を省くためなのかコスト削減なのか。

 さてようやく本題に入りますが、『満洲風物帖』も実はこの陸軍病院備品だった本です。満洲国=「偽満」については 『満洲国物語』にもその生活ぶりが描かれておりますが、 日本人やロシア人が勝手に生命や財産のやりとりをしようが庶民は食って行かなきゃいけない。
 本書は観光地としての「満洲」を内地に紹介する目的で書かれたものですが、ところどころにそうした当時の人々の生活も うかがえます。

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(1)表紙および見開き。剪紙細工はやはり異国情緒を醸し出します。

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(2)満鉄旅客課長による序文。観光案内にしては大張り切りですねー。溥儀さんも今となってみると哀れなほどの 傀儡ぶりですけど、当時はなんらかの自己弁明があったのでしょうね。

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(3)第一章は「満洲の年中行事」と題し、一月から十二月までの主な節気・祭日を解説します。すでに漢民族 の祭礼が主となっていたようですが、ラマ教、ギリシャ正教、モンゴル族の祭なども収録され、執筆者は 「五族協和」の実現を信じていたのでしょうね。『満洲国物語』に出ていた「ヤンゴ踊り」が出ていないのは 残念。庶民のお祭りまでは調査が行き届かなかったのかな。
 上の写真は「満人風俗」と「満人豪家の住宅」とキャプションがついています。この鶴さんは本物みたいですね。

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(4)第二章は「日満の古く国交」と題し、古くこの地にあった渤海国と日本との関わりを メインとして記します。中国本土と満州地区とは歴史的にも別地域であることを強調し、分離独立の 正当性を主張したいのでしょう。

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(5)第三章は「満洲の家」と題し、一般住宅、豪商、満州族、モンゴル族の家屋写真平面図 などが記載されています。一般住宅はほぼ四合院と変わりはありませんが、満州族伝統住宅は 馬房が同一棟にあるなどかなり違うようです。  本章の最後には旅館や風呂屋の話もあり、旅行ガイドとしての役割を思い出したようです。夜遊び 関連についてはさすがに口を濁しております。

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