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題名:  歩兵操典 (軍令陸第七号)
制定者:  裕仁
編者:  陸軍省
発行:  (株)武揚堂
発行日: 昭和15年(1940年)3月20日
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「歩兵操典」はその名の通り、旧日本軍歩兵兵科の教則本でした。本書は応召した父が復員時に持ち帰ったもので、内地で終戦を迎えただけに 比較的保存状態は良好です。なお父の弟(私の会ったことのない叔父)はフィリピン沖で輸送船ごと沈められ、何も入っていない骨箱が帰ってきたといいます。

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表紙及び見開き。旧日本軍は「皇軍」であり、あくまでも「天皇」の名の下に行動した軍隊だった。
「愛国寶典」にも出てきた畑氏、この時点では陸相をやってますね。

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勅語だけは朱刷り。しかし「稽(かんが)へ」なんて普通読めないぜ〜。なお長文で精神訓諭の「軍人勅諭」は収録されておらず、あくまでも「操典」に徹しています。

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奥付を先に見てみると、きっちり定価が書いてあります。給料からさっぴかれたのかしらん。二等兵は6円だったかな。

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 取りあえず「綱領」で、まあ当然といえば当然のことが書いてありますね。しかし旧制中学くらい出てないと、この文面は読みこなすのも 大変だったでしょうね。

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 第5条、ここが軍の「独断専行」を認めているところです。いかようにも拡大解釈できますね。中国戦線ではこれを根拠に「現場の独断」でどんどん戦火は拡大 していったのです。

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 ここは射撃の章。伝説の「闇夜に霜の降りるごとく」と言った詩的表現はなく、きわめてそっけない記述です。読んでも面白み のないことおびただしい。

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「中隊教練」の「分隊散開」の条項。幹部候補生だった父はお勉強したらしく、丸がついてますな。

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 たまに絵があるとほっとするけど、陣地(機銃)の回りの人員配置について。

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 ここは無線通信に関する条項。発電機も持って歩かなければならなかったのだから、昔は大変だったのだ。

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 ここは「附録」として付けられた「対戦車肉薄攻撃」の章です。爆薬・手榴弾等を持って戦車に忍び寄るというほとんど自殺行為。「自衛のため自ら進んで」やると書いてあるけど、大戦末期には本土決戦 に備え女学生も教練させられたというから、大真面目だったのだ。

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